食材を知る旅(4) ~道化師たちの食卓2~
道化師たちの食卓2
皆様に紹介させていただきたいイタリア人。
彼の名を“プルチネッラ”といいます。
彼は、ナポリの町のどこかの裕福なご家庭の下働きをしながら日々の生計を紡いだのだとか・・・。
だから毎日ひもじかったのですよ。
毎晩、彼が見る夢は、パスタをお腹いっぱい食べる夢!
彼ばかりでなく、南イタリアの庶民階級は皆貧しかったのです。
けれど貧しくとも「たくましき笑い」は絶やさなかった。
現代でも、イタリアのコメディア・デラルテ(プロによる即興仮面喜歌劇)で演じられるプルチネッラは、時としてたった一皿のマカロニのために嘘をつくこともあるし、共謀して盗みに加担することもあるのですよ。
でも、ただ悪い奴なのではなく、即興でご時世ネタを演っちゃうんですよ。
例えばこんな感じ。
「お名前は伏せますが、あの某侯爵とやらは密会用から商談用からお家のクローゼットに鬘(かつら)を500もお持ちだとか・・あの程度のおつむの持ち主には多すぎやしませんか」
ってユーモアを発揮するのですよ。
だからプルチネッラは愛されキャラで、同時に何となく哀愁を帯びているのです。
さて、「道化師たちの食卓」。
プルチネッラはどんなパスタを頬張ったのか?
決して実在した人物ではないから勝手に想像しちゃいましょう。
どんなソースをパスタに和えたのだろう?
まずイタリアには、近世になっても“トマトソース”などというものは存在しなかったのですよ。
何故かと言えば、本来トマトという野菜は欧州にはなかった品種なのです。
南アメリカのアンデス山脈界隈で栽培されていたものを、スペインの船団が持ち込んだのですね。
という事は、私たちの国の年表で言えば戦国時代の頃でしょうか?
そうして様々な物資が欧州へと持ち込まれたのです。
そんな中で、トマトは食材としては中々普及しなかったのですね。
参考までに、こんな絵をご覧になったことありますか?
トマトが欧州にもたらされてから、おおよそ100年後に描かれた肖像画です。
描いたのは、北イタリアで活躍したジュゼッペ・アルチンボルド。
時のハプスブルク家の皇室から依頼を受けて、皇帝の肖像画を描いたのですよ。
頭には葡萄の房だとかサクランボだとか乗ってるし、額はカボチャみたいだし、眉毛はさやえんどう豆です。
見ようによってはグロテスクだけど、食材や植物で肖像画を描くのをこの画家は得意としました。
でもお口元がほら、トマトだ。
当時のトマトは食材としては認知されておらず、観賞用の植物だったとか・・。
それどころか「悪魔の遣わした果実」とも言われたのだとか。
美術の中に植物や食材が描かれる時、そこには「寓意」というものがこめられます。
皇室からは、
「何故、我が皇帝の口元が悪魔の遣わした果実なのか?この男の口は卑しきなりとでも言いたいのか?」
とアルチンボルドは尋問を受けました。
とにもかくにも、ヨーロッパ美術史上、絵の中にトマトが初めて登場する瞬間がここにあるのです。
そうやって、トマトは欧州の食卓で普及するには随分と長い時間と改良を要したのですね。
だったらプルチネッラの頃はパスタをどう調理したのだろう?
大蒜のひとかけらと共にオリーブオイルで炒めただけのパスタかな?
現代でもスパゲッティ・ビアンコ(オリーブ油またはバターで炒めたパスタ)って、メニューには掲載されなくとも頼めば飲食店でも調理してくれるのですよ。
でもこちらはちょっと体調がすぐれない時の、日本で言うおかゆみたいな料理といったもの。
ナポリの町はホテルから一歩踏み出しただけで喧噪けたたましくて、おかまいなしのクラクションや舗装を研磨するかのごとく追い抜いていくスクーター。
そんな通勤・通学の時間帯。
そうして家族で食卓を囲むお昼のひと時のあとは、長いシェスタの時間。
お目当てのお買い物もお店が軒を閉ざして、夏の日の午後が手持無沙汰なら下町を散歩してみるのが良いです。
ただし貴重品の管理はお気をつけて!
さっきまで喧噪けたたましかったのにシェスタを迎えると少し静か。
閉ざされた扉の向こうで皆、寝息をたてているのだろうか?
そんな中のどこかにプルチネッラはいないだろうか?
今頃、夢の最中だろうか?
夢の中でパスタを腹一杯食べているだろうか?
《道化師たちの食卓2 完》