歌姫 フローリア・トスカとその時代(4) ~歌劇トスカ あとがきと補説~

あとがきと補説

● 作曲  ジャコモ・プッチーニ

● 初演  1900年1月14日  ローマ コンスタンツィ劇場

この歌劇の中に出てくる場所は実在するものばかりです。

第一幕の聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会

この教会はパンテオン近くにあり、内陣を見学する事も出来ます。

バスでヴィットーリオ・エマヌエーレ通りサンピエトロ寺院の方向に進む時、左側に見えてきますよ。

第二幕のファルネーゼ宮殿は、現在では在イタリアのフランス大使館。

あの場所からトスカはスカルピアを殺害した後、サンタンジェロ城までどうやって行ったのかな?

歩いて?

馬車かな?

お芝居なので史実じゃないし、考えても答えはでないけど・・・そんな事を想像しながらローマを見るとより楽しみが増します。

それから第三幕のサンタンジェロ城

ここは必ず観光でガイドさんが紹介する場所だから、詳しい説明は不要だと思います。

7ユーロぐらいだったと思いますが、屋上まで上がっていく事が出来ます。

中は軍事に関する展示と、建物の歴史と構造の展示がありますが、そこは興味ないのでパス。

とにかく螺旋の階段を登って天使ミカエルが刀をさやに仕舞う、あの場所まで。

屋上はローマの一大パノラマが広がります。

トスカがテベレ河に身を投げたあの場所から階下を望みます。

この位置からテベレ河に身を投げるって絶対不可能!

振り返ってみると、遠くにサンピエトロ寺院が見えます。

そして、人ひとりくらいが通れるくらいの水道橋のようなものが両の建物を繋いでいます。

なるほど、これが有事にローマ教皇たちが使った避難経路です。

今はもう使ってないので草が荒れ放題。

鉄製の門がしてあって立ち入り禁止です。

建造主のハドリアヌスは五賢帝の三代目。

名君中の名君です。

今から1800年くらい前に遡ると、彼は生存中に自分のお墓を作らせました。

当初はその頂きにハドリアヌスの騎馬像がありました。

トラヤヌス皇帝や次のハドリアヌスの治世は、帝国内が最も安定したいわゆるパクス・ロマーナ「ローマによる平和」の意味)と呼ばれています。

けれど、あれだけの版図と網の目を張ったような社会システムも、彼らの英知も、贅をつくした日常も、やがて綻びが見え始める時がやってきます。

アルプスの北から、蛮族を伴ったおぞましき中世の暗黒に覆いつくされるのです。

この世紀末から救われたけば、イエスの教えのもとに集いなさい。

そうやってキリスト教がヨーロッパを教導する時代が、ほぼ一千年にわたり中世として続くのです。

栄光のローマですら、つましい生活と質素の美徳を強要されました。

蛮族たちの攻撃の前に、ハドリアヌスのお墓ですら要塞に変貌せざるを得なかったのです。

ガイドさんの話で何回となく聞いていても、こうやって実地検分しないと実感が湧かないでしょう。

それからナポレオン・ボナパルトという人が活躍した時代。

これはフランス革命とほぼ一致します。

この革命はフランスの中だけで始まって、フランスの中だけで終結したものではありません。

近隣諸国の貴族優位の社会を大いにに揺るがし、飛び火しました。

ボナパルトは結局のところ失脚するのだけれど、その後ヨーロッパ首脳たちは一同に会して会議を開きます。

これがウィーン会議(1814年~1815年)。

これは昔、会議は踊るって映画にもなりました。

映画の中では、ロシアの皇帝が会議には替え玉を使って、自分は手袋店の看板娘クリスタルとお忍びデートって筋書き。

この会議の趣旨は、わかりやすく言えば「革命後のヨーロッパを立て直して貴族優位の国を取り戻しましょう」という事です。

そのために国境を整理して明確にしましょう。

警察の権力を強めて不穏な動きは封じ込めましょうという事です。

じゃぁ、フランス革命っていつからいつまでなのか?

これってわかりにくいですよね。

通説では、1789年にバスティーユの城塞が蜂起した市民たちによって攻め落とされてから、1799年にナポレオンが全政権を掌握するまでの約10年間と考えるのが一般的のようです。

では、ウィーンでモーツァルトはどの時代に位置していたか?

彼は革命が本格化する頃に亡くなります。

モーツァルトの時代は、国境という概念があるにはありましたが、革命後みたいに明確に整備されていませんでした。

だからモーツァルトが生きた時代は、ヨーロッパが最後のおおらかな光を放った時代だったのです。

モーツァルトが亡くなって一年くらいして、ドイツのボンというところからベートーベンがウィーンに留学します。

この偏屈は、革命の真っ只中の人であります。

時代の隔たりはそんなに違わないのに、革命前の「モーツァルト」革命後の「ベートーベン」ではその環境に大きな隔たりがあったのです。

そうやって色々と対象をかえて比較するとたくさんのものが見えて来るし、モーツァルトはその時代背景を読む時に恰好の物差しの役割をしてくれます。

最後にこの時代、日本はどうだったか。

フランスで革命が本格化した頃、我が国は徳川家十一代将軍 徳川家斉(いえなり)の時代。

老中に任命した松平定信による寛政の改革で有名な、寛政元年。

そうして革命が終息するこの10年間は寛政年間がすっぽり当てはまるということになります。

この頃、日本は鎖国の時代。

辛うじて、長崎の出島というところのオランダ人たちを通して、西欧とのつながりを細々と保ったのでした。

《歌姫 フローリア・トスカとその時代 終わり》