地図から妄想する旅の愉しみ(2)
トレモロのゆらめきと浪漫の台地
さて、イベリア半島を更に南下してみましょう。
こちらの写真は、ヨーロッパ添乗駆け出しの頃から使っているスペインの地図です。
20年近く使っているからもうつぎはぎだらけですよ。
マドリードを後に南下すると、「メセタ」(テーブル状の台地、または高原)というイベリア半島最古の起伏状の地域へ入っていきます。
あっ!そうだ。
旅のお供に米国の作家ワシントン・アーヴィング(1783~1859年)の『アルハンブラ物語』を持参したはずだ。
この先、道中はまだまだ長いからページを開いてみよう。
Wアーヴィングの『アルハンブラ物語』とは、今から200年ほど前に出版された旅行記のことです。
アーヴィングは作家でもあるけれど、在スペインの米国大使館職員でもあったのです。
米国大使館に休暇を申請し、御者と馬車とそして護衛を雇って、マドリードからグラナダまでの旅の徒然や宿で出逢った人との語らいを、とても平易なわかりやすい文章で瑞々しく語るのです。
今、まさに我々が目指す赤土むき出しの荒野を馬車が砂埃を挙げながらいくような、何とも浪漫に満ちた風情を伝えてくれます。
アーヴィングの旅の終点はアルハンブラ宮殿。
宮殿の一室を借りる機会に恵まれて、この「旅行紀」の執筆に励むのです。
アルハンブラ宮殿とは、イスラム建築の技術と幾何学建築の結晶のようなもので、最後の幼き国王ボアブディル(ムハンマド11世)だったか、キリスト教軍に包囲され耐え忍びながらも泣く泣く城を諦めたのが1491年。
その後、この城はどんな運命を辿ったのでしょう。
アーヴィングがこの城を訪問した時は、文化財としての管理を受けるどころかホームレスたちがそこらじゅうに住み着き、惨憺たる状態だったというのです。
アーヴィングはこの城の文化的価値の危機を『アルハンブラ物語』を通して世に知らしめたのです。
行けども行けども夏の頃ならば蜃気楼がゆらゆら揺れる、
そんな台地に時として朽ちかけた城跡の物見櫓が現れたり、
へレス(シェリー酒)の醸造元オズボーンの不気味な黒牛が我々を見下ろすだろうか。
時として車窓に通りすぎる深紅の果実をたわわに実らせるのはザクロだろうか。
日本で言えば平安時代あたりに相当するでしょうか。
騎士道華やかなりし頃の武将エル・シッド(『エル・シッドの歌』作者不詳。映画化もされました。アルフォンソ6世(1040年~1109年)の家臣であったとされます。)は、北アフリカから入植したイスラム教の君主たちと幾度も戦を交え、騎士道の美談を遺したことになっています。
もう50歳をとうに過ぎたというのに、今更ながら騎士道に憧れて「放浪の旅」にでかけるという男もおりました。
納屋で飼っていた愛馬にロシナンテと名付け、さァいざ出陣。
そうして野良仕事をしていたサンチョ・パンサに、「我が放浪の旅に従わぬか?いずれどこかの領主に格上げされぬかも知れぬ。」
その男の名をドン・キホーテといいました。
いわずもがな騎士道には“うるわしき姫君”が必ず必要だ。
適当な田舎の小娘を見つけては「あなたこそは我が心の姫君」。
その娘さんはドゥルシネーアだったかそんなお名前。
この後に世界的に出版されるベストセラーの作者は、ミゲル・デ・セルバンテス(1547~616年)という人です。
セルバンテスは1616年に亡くなったから、つまり英国のウィリアム・シェイクスピア、それから日本の徳川家康、この3人は皆同じ没年。
ヨーロッパ添乗駆け出しの頃は、繰り返し繰り返し暗誦して覚えました。
どうにも滑稽な物語りですね。
でもドン・キホーテの滑稽さと、もの哀しい愚かな感じは、近代スペイン史そのものではないですか?
そう思うとドン・キホーテに愛おしさすら思うことがあるのですよ。
「あっ、みなさ~ん。いよいよラ・マンチャ地方のコンスエグラの町に入ってきました。小高い丘の上に風車がご覧になれますか?」
ドン・キホーテがあんな風車を見て、「あれこそは怪物ブリアレオではないか。パンサよ剣を抜くがよい!」ですって。
パンサはとっても冷静です。
「よぉ~く御覧なさいまし、旦那さま。あれは風車といって、風の力で羽根を動かしそれと連動した動力で粉や小麦などを挽くものでございますよ。」
サンチョ・パンサも大変だ。
それから、ラ・マンチャ地方はサフラン(クロッカス属)の栽培で知られた地域。
収穫の頃になると付近一帯は一家や親せきなんかも総出で大忙し。
「敷き詰められたサフランの絨毯で寝転んでみ給え」とは誰の詩であったであろうか?
えっ?そろそろ休憩したい?かしこまりましたぁ。
では街道沿いのドライブ・インへと立ち寄ってみましょう。
スペインにはどこの町にもバルがあります。
バルとは、喫茶店とちょっとした一膳めしとお酒なんぞを出してくれるお店のことをいいます。
街道沿いのドライブ・インも、きっとそんな立ち飲みバル・カウンターがありますからご紹介いたしましょう。
まずはおもむろにカウンター越しに「オーラ!(やあ。こんにちは)」って一言。
さぁ、ここからが肝心。
お茶するならカッフェ・ソロはいわゆるエスプレッソコーヒー。
温めた牛乳または山羊乳で割ったらカフェ・コン・レチェ。
牛乳が少量なのをカフェ・コルタード。
そこにチュロス(ドーナツ)でも添えたら彼らの朝食になります。
日がな暇なお年寄りたちが一隅を占領して、お喋りに興じて何かかじっていたら、それはヒマワリの種です。
地図から妄想する旅の愉しみ(3)に続きます。
《つづく》