地図から妄想する旅の愉しみ(1)
プロ添(プロフェッショナル添乗員)というこの稼業。
この仕事を志したその昔、始めた動機は曖昧であったとしても、不思議なものでやがて自分の仕事に「こだわり」を持ち始めます。
その「こだわり」のうちの一つに「旅の必須アイテム」でもある地図があります。
世には本当に様々な地図があります。
長い間使ってきた地図は、いい具合に風合いを醸し出したり、ちょっと変色してきたり・・・
旅のお供みたいで雰囲気があります。
今回は地図のお話です。
地図を見ていると色々と想像しちゃうでしょ。
私たち日本人は地図を見る時、すぐに「国ごと」の単位で地図を見てしまいます。
これは、“私たちの国の国境が海で隔てられている”という環境も多いに関連していると思います。
例えば、欧州の国々の地図を開いてみましょう。
現在ある欧州の国境線が定まってからそんなに長い時間を要していないし、国境は幾度も幾度も変遷を繰り返してきました。
第二次世界大戦前までは存在した地域が恣意的に抹殺されてしまった、ドイツ軍国主義の根源であった「プロイセン」などという地域は、現代の地図からは読みとることは難しいでしょう。
あの「紛争の火薬庫」とも言えるバルカン半島の国々は、今では“アドリア海の真珠”クロアチアといって陽光煌めき、観光ガイドの表紙を飾っています。
しかし、民族のメンタリティやアイデンティテーをないがしろにして恣意的に引かれた国境線は、いつか大きな反発を経験するのだと、我々は現代史の中で見てきたはずです。
アドリア海を越えたら確かにヴェネツィアという都市があるとは言え、決してイタリアとは一括りにできないのですよ。
そうやって、その国々の経緯やエッセンスに思いを寄せてみるのです。
だから地図は、「世界を知る最初の扉」にもなるし、私たちの手元にある「最新の地図」が「古い地図」をアップデートしたもの、と言い切ると間違いが生じるような気がするのです。
故に、「古地図」というジャンルが存在するし、地図は色々な妄想と愉しみを提供してくれます。
前置きが長くなってしまいました。
手元にある地図でどこかの国のページを開いてみましょうか?
スペインなんかどうでしょう?
イベリア半島に位置するスペインという国は、欧州の中ではその国土面積たるやフランスには及ばずとも日本の面積のおおよそ1.2倍ほどの大きさがあります。
そんなスペインの首都はマドリード。
マドリードとはとても標高の高い首都で、スイスのベルンよりもまだ標高が高いのです。
地図でマドリードの位置が確認できたならば、その位置からアンダルシアへ向けてゆっくりと南へ目を這わせて参りましょう。
マドリードを後にしたならば、“アランホェース”という町が地図上で確認できますか?
ガイドブックや日本で出版されている本では、この地名をアランフェスと表記します。
でもスペインの人が発音すると、“アランホェース”と聞こえるのですよ。
え?『アランフェス協奏曲』ですか?お客様。よくご存じです。
アランホェースの町とは、かつてはスペイン王室の離宮もあったし、緑濃い閑静なただずまい。
マドリードからおおよそ50kmほどの距離でしょうか。
盲目の天才音楽家ホアキン・ロドリーゴ(1901~1999年。『アランフェス協奏曲』というギター協奏曲を作曲した人)が、トルコのピアニスト、ビクトリア・カムヒと恋人時代に仲睦まじく肩を寄せ合った、そんな散歩道が残っているのです。
ホアキン・ロドリーゴとカムヒの恋人時代から130年ほど時代を遡るなら、あの画家フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828年)がこの王宮で王室の団体肖像画を描きましたよ。
当時のゴヤは、その前年に宮廷画家の職を得たばかりで、そろそろ50代半ばの年齢です。
豪華絢爛な衣装を身に着けた王室の家族が描かれています。
国王カルロス四世はひときわ目立つ、やや右側で左足を前に出すポーズ。
そして末っ子のパウラ・デ・ボルボンと左手を繋ぐのが、本当は実権を握る王妃マリア・ルイサ。
人々はひそひそと囁きあったのです。
「あの王子、王女たちは実は首相であるマヌエル・デ・ゴドイとの間にできた子ではないか」と・・・・。
そんな世評にゴヤがたっぷりと風刺をこめたのでしょうか。
ご覧ください。
国王カルロス四世のこのテカテカとした呑気な風情を。
「なんだかまるで宝くじに当選した田舎のパン屋一家のようだ」と評したのはこの絵を見たフランスの作家の感想であったでしょうか。
さてさて、“アンダルシアの華”グラナダを目指すならばこの先の旅路はまだまだ盛沢山!
先を急ぎましょう。
首都マドリードを南下したならば、イベリア半島は“テーブル状の台地”メセタと言われる地域に入って参ります。
その入口に位置するのがラ・マンチャ地方。
地図から妄想する旅の愉しみ(2)に続きます。
《つづく》