オリンピックの街 イタリア・トリノ(4)

荒川静香選手は16才の時、冬季五輪長野大会(1998年)で注目されたとはいえ、その後は順風満帆とはいかなかったようです。

今回のトリノ選考大会となる国内戦も3位だったし、周囲は少し心配だったかも・・・。

でもそんなプレッシャーをものの見事に跳ね返し、女子フィギュアでの金メダル、総合優勝を誰もが確信したそのパフォーマンス。

それが翌2月23日。

荒川選手がリンクを滑らかに滑り出すと、あれっ?いつもと選曲が違う???

なんだか弦楽の音色・・・これはあれだ!

イタリア歌劇、ジャコモ・プッチーニ作曲「トゥーランドット」のハイライト独唱曲、「誰も寝てはならない」だ!

「最後の演技はこの楽曲で演じてみたい」

そう決断し、急遽の楽曲変更だったのだとか・・

最初のコンビネーションジャンプが成功した時、スケート靴の刃先がリンクの氷上を研磨するかのような音がテレビを通して聞こえたのですよ。

鳥肌がたちそうでした。

そうしてそうして、得意のイナバウアー

大きく柔らかく曲げた体躯。

その時、表情に一瞬笑みが浮かんだ気がするのです。

なんだか会場で固唾をのむ観客も、TVの前の私たちも、彼女によって知らず知らずの間に確信の空気へと導かれた気がするのです。

演技が終わってみれば、会場はこの日初めてのスタンディング・オベーション!

スコアを待つ間、しばし待機席へと下がります。

この場所がフィギュアスケートの用語ではキッス&クライ

再び歓声が沸き起こります。

総合得点は191.34と表示されました。

ロシアのスルツカヤ選手、米国のコーエン選手、並みいる強豪を抑えてトップにたちます。

荒川選手のこの金メダルは、冬季五輪大会では初めて日本に金メダルをもたらしたことになります。

日本ばかりでなくイタリアの新聞各紙、メディアもこの偉業を大絶賛。

「これはトリノの奇跡だ!」「やったぜ Shizuka。ブラボー」。

中でも凄かった記事の見出しは「これぞ真実のゲイシャガールだ」⇒えっ?どういう意味?

そんな絶賛の数々が新聞やお茶の間をにぎわせたのです。

冬季オリンピック第20回トリノ大会は2006年2月10日に開幕し、同年2月26日に閉幕。

17日間に及ぶ競技の中で、7競技84種目が演じられました。

大会に参加した国数は80か国。

参加した選手は男子・女子あわせて2508人。

大会を通してのテーマは「情熱はここに息づく」でした。

そうして迎えた閉会式のフィナーレでは、イタリアのアルペンスキー界で大活躍したイゾルデ・コストナーさんが登場するのです。

コストナーさんはイタリアの元アルペンスキー選手で、1990~2000年代にかけて世界大会や冬季オリンピック・リレハンメル大会(1994年)、ソルトレークシティ大会(2002年)などの世界大会で活躍しました。

ところがトリノオリンピック選考大会直前になって妊娠していることが判明し、第一戦からは退く決断を下したのです。

そのコストナーさんがウエディング・ドレス姿で観衆の前に姿を現します。

そして彼女が「息を吹く」ゼスチャーを見せます。

そうしたら聖火台の炎が消えるというそんな演出でトリノ大会は閉幕となります。

アリベデルチ!トリノ(さようならトリノ)、今度はバンクーバーでお会いしましょう。

《オリンピックの街 イタリア・トリノ 完》