オリンピックの街 イタリア・トリノ(1)
オリンピックの街 イタリア・トリノ。そのプロフィール
さて、前回に引き続き、欧州のオリンピック開催地になった町の魅力を紹介させていただきます。
今回紹介いたしますオリンピック開催地は、イタリア北部に位置いたしますピエモンテ地方のトリノです。
冬季オリンピック第20回大会を開催した町、それはトリノ。
日本の都市とも交流が深く、特に名古屋市とは2005年以来姉妹都市提携を結んでいます。
市域人口が約87万人あたりだそうですから、日本の都市と人口だけの比較でみますと、千葉市より少なくて新潟市より多いくらいの人口と申し上げればよろしいでしょうか。
皆さんは北イタリアの諸都市ってどんなイメージをお持ちですか?
冬季オリンピック開催の地だから、やはり冬は寒いのでしょうね?
もちろんですとも!
ドイツの文豪ゲーテは、「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」の中で少女ミニヨンに、「君しるや南の国」ってイタリアへのおもいを謡わせました。
イタリアって陽光降り注ぐ官能的なイメージがつきまとうでしょ。
それも確かにそうなのだけれど、かの国の形を長靴にたとえたならば、ふくらはぎあたりがトリノを中心とした北イタリアの諸都市ということになりますでしょうか。
だからトリノは、フランスとの国境をなすウィンター・リゾートの山岳部へたやすくアクセスできる位置にあるのですよ。
マロニエの小さな蕾が花を覗かせる初夏の日にも、その頂きには残雪のアルプス山脈やアペニン山脈が宿の窓から一望できるのですよ。
私たちが想像しがちな“地中海に囲まれた温暖なイタリア”の諸都市とは少しイメージが異なるのですね。
ピエモンテとは本来、山々の麓にある町とでもいった意味だとか・・・。
そんな自然豊かな北部イタリアやピエモンテ地方ですが、同時に戦後イタリアを経済面で牽引してきたのもミラノやトリノの北部諸都市。
たとえば、トリノの近郊リンゴットの街は、イタリアの国産自動車メーカーでもあるFIAT社が拠点を置いてきました。
FIATは、イタリア経済界の重鎮ともいうべき存在。
更に日本のいすず117クーペ(古くてすみません)の原型は、トリノの自動車産業がまだまだ若かりし日の友情と青春の記念碑的な作品。
古(いにしえ)の美しいフォルムを湛えるあのオリベッティのタイプライターだって北部イタリアから始まったし、イタリアでは様々な産業が北部を中心に時を重ねてきました。
歴史上の人物ならば誰もがお名前をご存じの、スペイン王室をスポンサーに未知の航海に植民地を求めたクリストファー・コロンブスだって北部ジェノバで産声を挙げました。
もっともっと身近な物語ならば、日曜日に放送されていたカルピス劇場のアニメーションの名作!母を訪ねて三千里ってご存じですか?
主人公のマルコという少年はお名前からしてイタリア人だし、故郷ジェノバの街から何と!アルゼンチンのブエノス・アイレスまで、理由(わけ)あって奉公に出たお母さんを探す長い旅に出るのですね。
とっても悲しい物語で、時として子供心に「もうみたくない!」なんて思いもしました。
あの物語の出自だって北イタリアにあるのですよ。
それはアミーチスの日記小説「クオレ」の文中に、「今月の先生のお話」として生徒たちに読み聞かせる物語のうちの一つが「母を訪ねて・・」の原作なのです。
サッカーがお好きな方ならば、ユヴェントスはトリノに本拠を置いたFCチームだし、北イタリアの諸都市は魅力がいっぱい!
《つづく》