ご生誕のものがたり ~絵で読み解く新約聖書~(3)
【ベツレヘムの星に導かれ君のもとへ】
欧州の国でも主にカトリック色が根強い国や地域では、1月6日を「東方三博士の礼拝の日」といい、教会で特別の典礼があったり行事が催されます。
この日をもって「降誕節」は締めくくりを迎えます。
では「東方の三博士」とは?
私たちの国ではあまりなじみがないですよね。
ミシェル・トゥルニエの小説『オリエントの星の物語り』をご存じでしょうか?
遠くはるばる東方より、三人の三博士(司祭や占星術師と表記されることもあります)たちが星の導きに誘われ、聖幼子を拝むためにベツレヘムを訪れたというのですよ。
勿論、新約聖書の記述、マタイ福音書に基づく小説です。
ではその東方の三博士(または博士、占星術師)とはどんな人物なのか?
残念ながら聖書はその事について多くを語らないのですよ。
トゥルニエの小説では、実は星の導きに誘われた司祭は三人ではなく、四人の予定だったのだとか・・・。
メロエ(現代のスーダン)からやって来たガスパール、バビロニア(チグリス・ユーフラテス川の下流域)のバルタザール、パルミラ(現シリア・アラブ共和国のタドモル)からやってきたメルキオールというお名前なのだとか。
でも小説では実はもう一人、西インドからタオールという人物がお祝いに駆けつける予定だったのが間に合わなかった・・・という事になっているのですよ。
東方の三博士は、
「ユダヤの王としてお生まれになったお方を拝みに参りました」
と、まずはユダヤの王室を訪問するのです。
ローマ統治下において“ユダヤの王”の称号を授かったのは、親ローマ派としても知られるイドマヤ系のヘロデという人物でした。
彼はローマまで赴き、ローマ元老院への忠誠を示し、ユダヤの管理を担うこととなるのです。
それがいきなり東方からやってきた三人の司祭が、「お生まれになったユダヤの王を拝むためにやって参ったのです」と言われては、偉大なるヘロデ大王を指し置いて心中穏やかではありません。
ヘロデ王は、東方の司祭たちから、
「ベツレヘムへと星が私たちを導いているのです」
と聞くに及んで、
「ならばその未来の王の居場所について聞かせて欲しい・・・我々もお祝いするとしよう。帰路に際してはもう一度、我が王室に立ち寄ることを願っております。」
と。
三人の司祭たちはもう一度、ヘロデの王室に立ち寄ることを約束いたしました。
すると行く手にベツレヘムの星が彼らを導いてくれるのです。
さて、その三人の司祭はベツレヘムを後にして帰りの道を辿りますが、こんな夢のお告げをうけたのだとか・・・。
「あのヘロデ王のところへ戻ってはならない。
彼はローマからユダヤの王を授かるのに政争で身内ですら殺す残虐な人物。
あのヘロデ王のところへ戻ってはならない。
今に彼はヘロデ朝を脅かすその存在に必ず暴虐な手立てに出るはずだから・・・。」
その夢のお告げの通りだったのです。
三人の司祭が報告に戻ってこないことを悟ったヘロデ王は、ベツレヘム地方の2歳以下の男児を皆殺しにするという恐ろしい指令を出し、軍隊を派遣したのです。
その夢のお告げは聖家族のもとへもやってくるのです。
「今すぐにエジプトへ逃げるのだ。
そうして次に知らせがあるまでそこに留まっていなさい。
あのヘロデ王が残虐な手段に出たのです。」
危うくもヨセフとマリアと幼子は、ヘロデの残忍な手段から逃れるのです。
その「エジプト逃避行」を主題にした作品を、17世紀オランダの画家レンブラントから2作紹介いたします。
エジプトへの逃避の途上、暗がりを行くヨセフとマリアと幼子イエス。
そして一頭の驢馬。
「夢のお告げ」で一刻も早くベツレヘムを旅立ったせいでしょうか、積まれた重い生活必需品に驢馬はもう頭(こうべ)を垂れ疲れた足取りです。
母は我が子を夜の冷気から護るべく布でくるみ、心細気な表情を浮かべています。
暗がりに照らされた灯りはどこからやってくるのでしょうか?
レンブラント・ファン・レイン。
21歳の頃の若かりし日の作品です。
ではもう1作、レンブラントの作品です。
『エジプトへの逃避途上の休息のある夜の風景』
先に挙げた21歳のころに描いた作品と同じ主題です。
同じ主題なのに異なる構図でしょ。
幼子イエスを抱いたマリアとヨセフなどの人物は小さく、あたかも風俗画のような趣がありませんか?
たき火やカンテラ、雲に反射した月の光、遠くの要塞でしょうか?
窓から灯りが漏れているから誰かいるのかな?
そして漆黒の夜の闇を照らす光。
光の表現が全部違うでしょ。
光の表現が多彩でしょ。
それらの暖かな光と、雲に映る月光の冷たさとの対比が、画面に緊張感を与えているのだそうですよ。
円熟を増し始めたレンブラント・ファン・レイン、言いようのない深みを持つ41歳の頃の傑作です。
《つづく》