「かたち」のいたずら。「いろ」のおまじない(9) ~たびさきで出会った絵のお話し~
甦れ! 江戸のスーパースターたち ②
さて、前回のお話しの続きをさせていただきます。
江戸期の浮世絵師といいますと真っ先に思い浮かべられますのが、葛飾北斎・歌川広重・写楽といったところでしょうか。
過去に米国誌(LIFE誌の1999年の調査による)で、「過去1000年でもっとも偉大な活躍をした100人」と題した調査を行った際、日本人でノミネートされたのは葛飾北斎ただ一人でした。
平均寿命が50歳の時代に、90歳までご長寿を全うしながら、「あと・・・あと・・・5年あれば俺は真の絵師になれるのだ!」って呟いたのだとか。
映画『HOKUSAI』のあの熱演ぶりからも、そんな北斎の熱情が伝わってきましたでしょうか。
それからそれから、2024年から使用される新札(1000円札)の図案には、北斎の人気シーリズ『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』のうち『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』が使用されるのだとか。
はたまた2020年からだったでしょうか。
日本国の旅券にはその富嶽三十六景の透かし絵が、査証(ビザ)のページのところに挿入されています。
本当に、ここ何年かでもすごい“北斎リバイバル”ですよね。
でも忘れてならないのは、その北斎ブームを支えたのは決して我々日本人だけでなくて、欧米諸国からも浮世絵に対して熱烈な関心があったからこそ。
浮世絵の主題こそは、過去や未来よりも“今”を描く事。
浮世絵師やプロデューサーでもある版元は、題材に時代の最先端を行く風俗や話題を追い求め、常に趣向を凝らした描写で庶民を喜ばせようとするのですよ。
だから彼ら普通の庶民の愉しみといえば、「遊び」や「お芝居」。
それから、めったに行けるものではないのだけれど「お参りと旅行」。
それは江戸という比較的安定した時代だからこそ、庶民の娯楽が成立しえたのです。
江戸の日本橋を起点にした東海道、中山道、日光街道 奥州街道、甲州街道といったところが整備され、宿場町が出来上がっていきます。
庶民たちの娯楽や愉しみが整っていく時代。
人々は広重の揃い物の名所絵を買っては、「いつか行ってみたいのォ。お伊勢さんのお参りとやらに・・・」そう語らったのですね。
先に挙げた富嶽三十六景の『甲州犬目峠』の本作をみてみましょう。
甲州犬目峠とは、現・山梨県の上野原から大月市へ向かい、君恋温泉街を過ぎたあたりでしょうか。
犬目宿の石柱が現代でも残っているのです。
馬に荷を載せた旅人が峠を越えてゆきます。
北斎は旅人を点景に描き、富士の雄大さを強調しています。
これから犬目の峠を越えるのが何とも難所。
旅人たちの会話が聞こえてきそうですね。
季節は初夏の頃。
富士の裾野からゆっくり、ゆっくりと新緑が歩みを進めているのですよ。
少し汗を滲ませながら、もう少し、もう少し。
この峠を越えれば。宿場街はもう少し。
早く宿に上がって荷をほどきたい・・・。
遠くの空は同じ青でもちょっとずつグラデーションを付けた空の青でしょ。
・・・こんな微妙な加減は「和紙への摺りかた」の技量のなせる技。
ほら現代の我々が見ても「旅情」を誘うでしょ。
だから浮世絵とは、日本の江戸期が誇る“大衆娯楽”、“大衆メディア”なのです。
次回は、ラスト浮世絵アーティストと題して明治期に活躍した浮世絵師を紹介させていただきます。
注釈:
富嶽三十六景とは、葛飾北斎による富士図版画集の事です。
北斎は、地域により、季節により、富士の見方の角度により、様々の富士山を描きました。
出版年は1831~1834年(天保2~5年)、版元(出版社)は永寿堂が担当し、全巻三十六景までの予定だったのですが、人気作ともなり最終的には四十六景まで出版されました。
《つづく》