「かたち」のいたずら。「いろ」のおまじない(8) ~たびさきで出会った絵のお話し~
甦れ! 江戸のスーパースターたち ①
さて今回は、浮世絵版画のお話をさせていただきます。
コロナ禍も沈静の動向を見せ、日本にも外国人観光客の方が戻って参りました。
奈良や京都、一部の観光地では、連日過剰なほどの反響ぶりが報道され、私たちのほうが目を丸くしてしまいますよね。
そんな外国人観光客にも人気の絵画のジャンルが、浮世絵版画。
浮世絵とは、木版を使った版画の一種であります。
今回はそんな浮世絵版画のお話をしてみたいと思います。
私たちは浮世絵版画だとかいうけれど、決して現代に残る浮世絵の全てが版画というわけではないのです。
版画でない浮世絵を何と表現するのか?
「肉筆画」(にくひつが)と表現します。
例えば、東京国立博物館が所蔵する江戸初期の作品『見返り美人』をご存じですか?
“浮世絵の始まり”とも称される菱川師宣(?~1694年)の作品。
この作品は版画でなく、肉筆画です。
菱川師宣の美人画は、それまでの美術が武家や貴族、寺社のためであったものが、江戸の庶民へと向けられるきっかけとなったのですよ。
日本画における美人画の特徴は、従来の『源氏物語絵巻』などに見るような「引き目鉤鼻」で髪型を「垂髪」で描くのが典型的な気品のある女性だったのが、師宣の浮世絵によって「美人画革命」が始まるのですよ。
描かれる「玉結びの髪」や「吉弥結びの帯」は当時の女性の最新流行モードでもありました。
「浮世絵」の特徴は、その当時の人が生きた同じ時代の“今”の風俗を表現することにあるのです。
その主題が美人画であったり、「旅の名所絵」であったり「歌舞伎の人気役者」であったり、時に「遊郭の情景」であったり、庶民が愉しめる娯楽であったのです。
版画でない一枚物の浮世絵は残されているものがあるとは言え、浮世絵はその大半が版画だから同じ絵師の同じ作品が何作も存在するということなのです。
何故版画なの?
それは、大量生産するシステムを構築すれば販売額を抑えられるでしょ?
故に、浮世絵版画は江戸の大衆絵画なのですよ。
歌川広重(1797~1858年)の『東海道五十三次』シリーズ(揃いもの)など、人気作品が絵草子屋(現在の書店と土産店を兼ね備えたようなご商売)で発売される日ともなれば、開店前から行列ができたのですよ。
浮世絵世界では最初の初版を「初摺り」(しょずり)と言います。
何枚ほど摺ったのだろう?
それはその作品がどの程度、売れ行きを見せるのか?
それによって違います。
だったらその初版「初摺り」の枚数は誰が決めるの?
浮世絵制作はあくまでも分業の体制であって、葛飾北斎(1760~1849年)や東洲斎写楽(斎藤十郎兵衛:1763~1820年)、一代目広重(1797~1858年)ら、絵師の主な仕事は版元(現代でいう出版社)から依頼を受けたテーマに沿って、版下絵というオリジナル原画を描くのが仕事なのですよ。
版元(現代でいう出版社)というプロデューサーの役割がいたのですよ。
例えば映画『HOKUSAI』(2021年)では、蔦屋重三郎という有力な版元が出て参りました。
版元は、何が売れるのか世のトレンドの動向にも敏感でなければならないし、出来上がった作品の販路からとにかく様々な販売戦略を練る役割だったのです。
そうやって初摺り作品が売れたならば、急いで続版(浮世絵界では後摺りといいました)を出さねば!
版元はそうやって作品の売れ行きの動向に常に目をやらねばならなかったのです。
そうして大量生産される「浮世絵版画」は、一作が“かけそば一杯”と同等の値段であったといいます。
絵画とは本来、欧州においても日本においても、特定の階級のひとたちが独占してきたものでした。
だから浮世絵版画は、“絵画コレクション”というより大衆によって消費されやがては捨てられてしまう、いわば現代でいう“雑誌”と同じような役割であったようです。
でもそんな消費文化の一旦を担った浮世絵だからこそ、海外から羨望の眼差しを向けられる対象ともなったのです。
役目を終えた浮世絵は、海外へ輸出される古伊万里(有田焼の一種)の包装紙としてリサイクル使用されたのです。
欧州へと輸出された、その焼き物をくるんだ包装紙に描かれた大胆な構図と多彩な色使いに、フランスの印象派期の画家たちは目をとめたのです。
それはフィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890年)ですら同じこと。
かなり触発されたようです。
ゴッホが32歳のときに、故郷オランダのズンデルトからパリに渡って最初に転がり込んだのは、弟テオドールが暮らすモンマルトルのアパルトマン。
そのすぐ近くに「タンギー爺さんの画材屋」がありました。
そのお店では画材を売るのと同時に、どこから仕入れたのか日本の浮世絵も取り扱っておりました。
浮世絵の描き方の斬新さにゴッホは感化されました。
ゴッホが日本の浮世絵師、渓斉英泉(1791~1848年)の浮世絵『花魁』を模倣した作品ってご存じでしょうか?
ゴッホは英泉が描いた花魁を左右まるっきり反転させたポーズで描いているんですよ。
そうやって、浮世絵とは消費され捨てられる運命にあったからこそ、欧州の人たちの眼に触れ、再評価されるきっかけともなったのです。
《つづく》