「かたち」のいたずら。「いろ」のおまじない(6) ~たびさきで出会った絵のお話し~
短い夏の小旅行。アロイス・カリジェゆかりの村を訪ねて。
「わたしが絵を描く本来の意味は
道端にも小さな奇跡が発見できると
人に伝えることにあるのです」
アロイス・カリジェ(1902~1985年)の言葉です。
かっこいい台詞ですねえ。
アロイス・カリジェの作品ってご覧になったことありますか?
カリジェとは、スイスのトゥルンという町で生まれ育った、グラフィック・デザイナーであり画家でもあった人です。
絵本『ウルスリのすず』(原作はゼリーナ・ヘンツ)の挿絵はカリジェの代表作のひとつでもあります。
「ウルスリ」とはこんな感じで物語が始まります。
「ずっと遠く、高い山のおくに、みなさんのような男の子がすんでいます・・・」
この絵本がずっと長くこどもたちの間で愛され続けてきたのは、カリジェ独特のイラストのお陰なのですよ。
ウルスリは、くるくる天然パーマの髪の毛の上にちょこんと小さなとんがり帽子を載せて、村の春を迎えるお祭りで先頭を歩きたいがために大きな鈴を探しにでかける・・・そんな物語の始まり。
昨今はカリジェの画風も日本でもよく知られるようになったし、中でも『ウルスリのすず』や『フルリーナと山の鳥』は日本語訳も出版されています。
それどころか、“アロイス・カリジェ原画展”なども開かれるようになりましたから、カリジェ作品の持つあのやさしい色合いの妙に惹かれる方も多いということでしょう。
さて、かつて私は本業の添乗員のお仕事で 、夏のシーズンともなるとツアーのお客様たちをスイスへとお連れいたしたものです。
ひと夏に二度、三度とスイスを訪問することもしばしばありました。
スイスといえば日本の九州ほどの面積の小さな国。
その小さな国土は、ジュラ山系やアルプス山系に阻まれ大変な天然の障壁が連なります。
そんな、過酷で厳しい住環境とさして資源にも恵まれない土地に、彼らは彼らの叡智を振り絞り山岳へのアクセスとその恩恵による「真摯な眼差しのツーリズム」を、寡黙なまでに何度も工夫を重ねてきました。
しかも自然との共存というバランスに細心の注意を払いながら・・・。
聞けば現代のスイスの山岳鉄道やケーブルカーなどは、私たちの国がそろそろ日露戦争も終焉を迎えようという1905年の夏ごろにはほぼ整っていたという事ではないですか!
小さな国土に様々な種類の山岳へのアクセスが縦横無尽に整備されています。
そんな山岳観光のうちのひとつに、氷河特急という山岳鉄道のハイライトがあります。
正式にはレーティッシュ鉄道という会社が運行する路線です。(レーティッシュ鉄道の氷河特急線の開通は1911年)
過去には冬季オリンピック大会を開催した町、サン・モリッツからおおよそ半日ちかくをかけてあのマッターホルンのお姿凛々しきツェルマットの街へ、車窓からの景色を楽しむのが氷河特急・山岳鉄道の旅。
アロイス・カリジェが生まれたのも、この氷河特急の沿線沿いにあるのです。
それはトゥルンというとても小さな町。
残念ながら氷河特急はこのトゥルンの駅には停車いたしません。
だから車窓からトゥルンの町が生んだカリジェのことを紹介して、ついでに持参した「カリジェの絵本」のページを開いてお見せしたりしたものです。
そうやっていつもカリジェの生まれた町を車窓から想像するしか他に方法はなかったのですが、ある夏のスイス・ハイキング旅行。
一行、たしか13名様ほど・・・氷河特急の沿線駅ディゼンティス(トゥルンの町まで各駅停車で20分程度の、スルセルヴァ峡谷の山間に位置する町。8世紀に建立されたベネディクト派修道院が駅前に立つ)というこれまた小さな町に投宿する機会を得たのです。
駅前には由緒ありげなベネディクト派の立派な修道院が威容を誇っています。
さて、ロッジ風のホテルに投宿し、皆で夕食のテーブルを囲みました。
時計の針をみるとそろそろ20時を回ろうかというところだけど、夏のスイスはまだ日没までに猶予があります。
まだまだ明るくて夜が気持ちいいのです。
明日は朝はやくからバスで山合いへ向かい、ルクマニア峠という場所の近くのマリア湖の湖岸でハイキングして町へと戻って来る、というスケジュールです。
恐らく町にはお昼ごろには戻ってくる算段です。
そしてお昼からは皆さんフリータイムです。
でもこの町で午後からフリータイムはちょっと時間持て余し気味かなあ?日本出発前からちょっと気になっていたのです。
「もし明日のフリータイム、ご退屈なら各駅停車に乗ってトゥルンの町まで行って、カリジェの絵でもみにいきます?」
お皿の中でとろけた濃厚なチーズをパンのかけらで拭うその手を止めて。
おもむろに。そう言ってみたのです。
《つづく》