「かたち」のいたずら。「いろ」のおまじない(15) ~たびさきで出会った絵のお話し~
中国の大陸から学んだもの
さて私どもは遥か昔、当時の先進国である唐の時代の長安から様々な社会のシステムの在り方を学び平城京の基礎といたしました。
そんな大陸とのおつきあいの中で、副産物的に美術・工芸の在り方にも多くの学びがもたらされました。
私たちの国に西洋画が輸入される以前から、中国の美術の在り方、その主題となる物語。
古来、我々日本人は中国の美術工芸に羨望の眼差しを送ったのです。
京都に瀟洒なアトリエを構え、中国の物語を主題にした多くの作品を遺した橋本関雪(1883~1945年)をご存じでしょうか。
関雪は中国への造詣も深く、様々な中国の逸話や物語を絵の題材にしたものが多くあります。
例えば、中国古来の物語に基づくこんな作品『木蘭』(もくらん、またはムーラン)をご覧になったことありますか?
屏風に中国の古来よりの物語を描いています。
「屏風」とは本来、中国から伝わったものです。
一種の室内調度品ですね。
やがてその調度品に絵が描かれ、室内装飾の役割を担うようになるのです。
当初、屏風は折りたたむ形式でなかったものを、日本の室町時代に「紙」と「紙」を繋ぐ蝶番(ちょうつがい)が普及し、折りたたむ形の屏風が生まれるのです。
「美術」の在り方も工芸の様式も、もとは中国の大陸からもたらされたものではあるけれど、こんどは輸入先である日本でその国の風土や生活様式にあわせ、その国における発展を見せるのです。
絵の主題でもある「木蘭」とは、左側の屏風に描かれた切り株に腰かける少女の名前。
右側の白馬に跨る男は木蘭につき従うお供の者。
同じ主題を描くのに、右と左で角度を変えたり場面を変えたり工夫を凝らします。
見る側から向かって右側(男が白馬に跨る構図)を右隻(うせき)と呼びます。
左側の木蘭が描かれている屏風を左隻(させき)と呼ぶのです。
そうしてよく見ると右隻(うせき)は屏風によって六面に区切られているでしょ。
左隻も同じく六面に区切られているでしょ。
この一面を曲と呼びます。
だから六曲の面から構成されています。
美術館に足を運んでこの作品を鑑賞したら、作品のすぐ隣にあるキャプションには「六曲一双」と表示されるのですよ。
六曲の屏風に描かれた同じ主題が、それぞれ右隻と左隻に分かれ対をなしています。
屏風仕立ての絵の一番基本的なところです。
「木蘭」とはどんな素性の少女なのでしょう。
父母と姉、そして彼女の幼い弟。
5人でつましく暮らす普通の少女。
それがこの物語の主人公である「木蘭」という少女です。
ある時、木蘭一家が暮らす村にも、山の向こうから暗雲がたちこめます。
暴虐の限りを尽くす山賊たちが領地一体を狙って迫って来るのです。
君主は、「わが領地の一大事だ!男どもは武器を手に取り出兵の準備をするが良い。集え都へ。」
村の大人の男たちには徴兵の号令がかかります。
ところが木蓮のお宅には兵に出るような男がいないのです。
彼女の父君は病弱で、とても兵役を負うことなどできないのです。
「さあ どうしよう?」
木蘭一家は途方に暮れてしまいます。
その時、木蘭は心の中でこう誓うのです。
「父君のために私が殿方に化けて、そして戦場へと赴きましょう」
そうして少女木蘭は男装をして、都へと出兵に赴くのです。
最初は剣も馬すらろくに操れなかったこの男装の少女は、どういうわけか戦(いくさ)の度に力を発揮し、しまいには暴虐無人でもって暴れまくる山賊たちを打ち負かしてしまうのです。
君主は、「木蘭よ、よくぞ大手柄!おまえに十二階級特進の位を与えるとしよう」と賛辞を贈るのです。
ところが木蘭は、「いいえ、お殿様。十二階級特進の位よりも、私めに平野を駆ける駿馬を与えていただきませんでしょうか。その馬でもって私を父母の待つ故郷へと帰らせていただきとうございます。」と申し出るのです。
木蘭の懇願は受け入れられ、ようやく故郷へと戻ることができるのです。
駿馬を与えられ、お供のものが付きそう故郷への帰路の途中。
その場面が関雪の描く『木蘭』。
長きに亘って「男」だと欺いた木蘭も、故郷への帰路の途で兜を脱いで切り株に腰掛ければ、その表情は「少女」に戻るのです。
そんな瞬間を関雪は描いたのです。
《つづく》