「かたち」のいたずら。「いろ」のおまじない(12) ~たびさきで出会った絵のお話し~
肖像画の世界①
長い添乗員生活の中で、様々な土地で見てきた「旅のお話」を紹介させていただいておりますが、今回は美術の中でも「肖像画」についてのお話です。
といっても、まさか専門的なお話ではありません。
いち添乗員が見てきた「絵の感想」を皆様と共有できれば・・・
いつか旅先のどこかで、「あの時、あの人が紹介していたあの絵だ!」って。
絵って本作の前に立つと、画集やTV番組の特集などで観た「感じ」と、今、目の前で見る「印象」がちょっと違うこともあるのです。
画集で見ていただけでは気が付かなかった事に気が付いたり、それも本作の前に立ってみる愉しみでもあったりいたします。
さて今回、取り扱うテーマは「肖像画」です。
つまり美術の、その主題に「人」を描くということです。
いつ頃から私たちは「人」を描いてきたのだろう?
例えば気が遠くなるくらいの遥か古代の旧石器時代の洞窟壁画に見るような、辛うじて「人」だろうか?と思えるような、そんな壁画に描かれた太古の人の想い。
あれは肖像画だろうか?
そんな、絵とも壁に描かれた線とも判別がつかない洞窟壁画の時代。
もう少し時代を下って、藤原京の都が置かれた明日香の町のこんな「人物表現」をみてみましょう。
【高松塚古墳】
この壁画、ニュースで報道されているのってご覧になったことありますよね。
奈良県の高市郡明日香村で1972年に発見された石室の壁画四面のうち、『西壁女子群像』といわれる極彩色豊かな壁画。
古墳だからどなたかの石室ということになるのですが、どなたが祀られているのか専門家の方々の研究の成果を待たねばならないのですよ。
おおよそいつ頃の時代に描かれた壁画でしょう?
藤原京の時代だから、ざっと694年~710年頃ということになります。
一体こちらに登場する女性たちは何をしているのでしょう?
当時の最新のファッションに身を包んだ若い女性たちが生き生きと極彩色で描かれているのですよ。
藤原京の時代の日本は、多くの留学生たちが長安の先進的な技術や政治制度や文化を学んだり、仏典の収集なども含み、様々な研鑽の時を過ごしたのです。
高松塚古墳の壁画に見る絵の技法ですら、唐の時代の長安から学んだところが大きいのです。
日本画の古い時代の美術は「人」を描く時に「定型」の描き方があるのです。
まずこの女性の髪型、垂髪(すいはつ)というのですよ。
描かれる人たちは「高貴」な方たちを描きます。
庶民は絵の中に出てこないのです。
何故こんな髪型なのでしょう?
「高貴な方」たちだから、「歌詠み会」などに興じて男女で「雅」に暮らしていればそれで良いのです。
だから「ひと仕事するぞ~!」って髪型じゃなくて良いのですよ。
そして「高貴な女性たち」は、一様にほっぺのところが下膨れなのです。
これが日本美術(やまと絵)における女性の描き方。
つまり、その人のお顔に似せることに重点が置かれているわけではないのですよ。
このように、美術における「描き方」は社会情勢と大きく関わっています。
長らく戦争のなかった平安の時代から、鎌倉・室町の時代になると「お侍さん」が天下を取る時代がやってきます。
そうしますと今度は、お城の中の襖を飾る絵(障壁画)などに、立身出生を代弁する「虎」や「龍」が描かれます。
いわば「豪壮」な感じが主流となっていくのです。
そういったタイミングで京都の町絵師から世に出てくるのが、狩野元信(1476~1559年)という“狩野派”の始祖なのです。
西欧美術と日本美術を比較してみた時、その描き方において「肖像画」ならばどういったところが違うでしょう?
まずひとつには、「写実的な描き方」において大きく違うと思います。
自画像においては、素描画も含めてとにかく100点近くもの昨品で自分を描いた、レンブラント・ファン・レイン(1606~1669年)という画家がいます。
レンブラントは様々な年齢でその時の自画像を遺しているから、いろいろな年齢のレンブラントの真情までが伝わってきそうです。
左側の絵は34歳の自画像。
丁度あの大作『夜警』に臨もうとするレンブラント。
まさに意気揚々としていますよね。
そして右側の自画像はもう晩年、63歳の老齢に差し掛かったレンブラント。
深い皺に刻まれた悲しい眼差しのレンブラント。
何とも悲しい表情を著しています。
つまりレンブラント・ファン・レイン、幸福のうちに一生を閉じた人ではないのです。
レンブラントは17世紀中盤の画家だから、藤原京の時代の日本美術と比べてその特徴を云々するのは随分乱暴かも知れないけど・・・
でも、西欧の美術工芸はその「描き方」において写実性が強いです。
それは古典・古代のギリシア・ローマの作品まで遡っても、両者の作品の違いにはそういう特徴が見られます。
さて、そんな日本画における肖像画も、時とともにやがて画風に変化が見られる日がやってくるのです。
それが日本画における“似絵”というジャンルなのです。
《つづく》