「かたち」のいたずら。「いろ」のおまじない(3) ~たびさきで出会った絵のお話し~
神戸市立小磯記念美術館
今回は、神戸市の人口島・六甲アイランドにあります、神戸市立小磯記念美術館を紹介させていただきたいと思います。
神戸の東灘の町から、古くから日本酒醸造がとっても盛んだった「灘五郷」地域を車窓から指差し、「あっ、海だ」と埠頭の風に吹かれて港湾地区を越えれば、小磯記念美術館のある六甲アイランドはすぐそこです。
“小磯良平”って聞いただけですぐに神戸を思い出す、そんな洋画家っていないような気がします。
そんな小磯良平の作品(油彩画や素描画など)を中心に、時にその他の神戸ゆかりの画家の作品を展示するのが神戸市立小磯記念美術館です。
過去に何度か訪れた美術館であっても、時間が経過すればまた無性に行きたくなる・・・ここもそんな美術館です。
小磯作品の特徴ってどんなところでしょう?
ある著名な作家の方がこう言っていました。
「折り目正しい自然描写」って。
なるほど!
それから、小磯良平の描く女性像って、何とも言えない「清楚な親しみやすさ」と「適度な気品」のバランスがちょうどよいような気がするのです。
たとえば、小磯良平の代表作ともいえる『踊り子』の連作。
「踊り子」や「バレリーナ」のモチーフといえばどんな画家を思い出しますか?
フランスの印象派期に活躍したエドガー・ドガ(1834-1917)が有名ですよね。
小磯良平もドガから題材のヒントを得たようです。
ドガと小磯良平の「踊り子」の描き方の違いを一つだけ挙げるならば、小磯良平の「踊り子」は窓辺に佇んでいたり「静」の踊り子を描く場合が多いような気がするのです。
ドガは「連続する動作」のある一瞬をとらえているような気がするのです。
小磯作品のもう一つの特徴は、「観る者の気持ちにスッと入ってくる」作品だと思うのです。
本当に何の違和感もないくらいにスッと入ってくるんですよ。
でもその作品の“良さ”を誰かに伝えようとすると、適切な言葉が見当たらないのですよ。
それが小磯良平の卓越したかつ絶妙の調和によるデッサン力の賜物でしょうか?
小磯良平が、まだ東京美術学校(現・東京芸大)に在学中だった23歳の頃に描いた作品があります。
『T嬢の像』(1926年)という作品です。
小磯良平作品の中でも、若かりし日の傑作だと思います。
モデルさんのお名前が敏子さんという方で、小磯の3歳違いの遠戚にあたる女性だったとの事ですよ。
それで窓辺に視線を向けるそのポーズは、蜂が飛んできて「ブ~ン」って音に思わず視線をやった、その瞬間だったのです。
着物の図柄の描き方も、質感や感触が伝わってくるようでしょ。
この敏子さんと小磯は遠戚だから幼いうちから顔なじみだったのだけれど、どうやら小磯は敏子さんに「微かな好意」があったのだとか。
でもその淡い想いは実らず、2年後に東京美術学校卒業後、待望ではあったけれど傷心の想いの「欧州留学」の旅支度をするのです。
さて、『T嬢の像』から2年、東京美術学校を首席で卒業した小磯は、欧州に留学します。
そうして訪れたフランスはパリのルーブル美術館で、「群像の表現の在り方」に衝撃を受けたその作品がこちら。
ヴェネチアで活躍したパオロ・ヴェロネーゼ(1528-1588)の『カナの婚礼』。
欧州留学では、級友でもある詩人の竹中郁とも一緒だったから、「よもやま話」も尽きぬだろうし精力的に欧州の美術館を見てまわったはずです。
数々の作品の中でも、ヴェロネーゼのこの作品の「群像表現」は、小磯にとって生涯をかけて極めるべきテーマともなっていくのです。
欧州から帰国したその2年後の1938年から1年間、藤田嗣治らと共に陸軍省委託の身分で戦争記録画、つまり戦争に同行して従軍画家の任務につきました。
従軍画家としての1年は、小磯にとって好まざる経験もあったことでしょう。
でも反面、その経験は小磯に新たな技量と深い思いを育みます。
こちらが「群像」の描き方のその成果が結実した作品ともいえます。
『斉唱』(1941年)。
小磯良平、38歳を迎えるころの作品です。
『斉唱』とは何の意味だろう?
何だかレクイエムを感じさせます。
女生徒たちの身に着ける衣服は当時の神戸松蔭女子学院の制服なのだとか。
あえて色調のトーンを抑えたのでしょうか?
あえて色調を抑えることで「静謐」が感じられませんか?
素足姿の彼女たちの斉唱が聞こえてきそうでしょ。
斉唱は楽器の伴奏を伴わず、「彼女たちの肉声」だけでカノン形式(輪唱)だろうか?
観る者に様々な想像を掻き立てさせる作品だと思うのです。
神戸市立小磯記念美術館は、作品を見るばかりでなく、かつて小磯良平が実際に使用したアトリエを再現し、当時の写真や絵具やイーゼルなども見学することもできるのですよ。
次回はパリの街に集った外国人画家たちのアトリエについてお話させていただきます。
《つづく》