オリンピックの街 イタリア・トリノ(3)

トリノの奇跡 彼女のための最後のキッス&クライ

第20回冬季オリンピック開催地決定議会が、1999年6月19日に韓国・ソウルにて行われました。

その選考にトリノとともに残された候補地は、スイスのシオン

こちらもあの名峰マッターホルンへのアクセスがよく、有数のウインターリゾート地。

スパ施設なんかも充実しており、保養地としても人気があります。

この候補地決定の瞬間が日本のTVのニュースでもとりあげられました。

結果は57票対32票。

トリノが開催地に決定いたしました。

イタリアにおける冬季オリンピック開催は、1956年の第7回コルティナ・ダンペッツォ大会以来ということになります。

トリノの町を歩いてみれば、赤シャツの義勇兵を率いたジュゼッペ・ガリバルディや、名参某カミッロ・カールなど、イタリア建国に奔走し、オーストリアのハプスブルク家やブルボン王室、周辺列強との折衝や、時に戦だって厭わなかった英雄たちが、通りや広場に名を残していることに気が付くでしょう。

そうしてイタリア王国の最初の統一(1861年)の時、国王は満場一致でトリノに拠点を置くサヴォワ家から選出されるのです。

トリノはいわばイタリアにとっての最初の首都。

王室ゆかりのコレクションを所蔵する博物館や美術館。

そんな町の景観と調和を保つように、オリンピック・シティの建設が着手されていきます。

競技会場は開閉会式会場とスケートやカーリング会場はトリノ市内に建設され、スキーやボブスレーは山岳部の屋外会場で行われるとのことで、エリアが二地域に大別されます。

そんな競技場のうちの一つ、パラ・オリンピコは共同設計で日本の磯崎新氏も参画されております。

市街を縦横無尽に行きかう路面電車は地下へ埋め込む計画がなされます。

つまり地下鉄が開通いたします。

オリンピック開会寸前でその地下鉄がなぜか停止しちゃって市民が混乱!というハプニングもあったけれど。

でもとにかくトリノの町は生まれ変わります。

そうして2006年2月10日午後8時、いよいよ第20回冬季オリンピック・トリノ大会開幕です!

TV中継に映し出されたそのパーフォーマンスで印象に残っているのは・・・・

自動車整備工に身を扮した人たちが真っ赤なポルシェを組み立てるところから始まります。

パーツごとになったそのポルシェを組み立てると、F1ドライバーのルカ・バドエルが車に乗り込み轟音を轟かせ、しばし会場内を狂ったように走行するのです。

このパフォーマンスを見て思うことがあります。

それはイタリアっていつも色使いが大胆!

イタリアを街歩きしてウィンドウに映るモードをよく観察するならば・・・

 うわっ!あの色使いすご~い!

 うまく着こなせたらすごいけど・・

 一歩間違えたらどうだろう?

 その日、一日どん底!かも?

そのくらい独自のデザイン性と色使いに溢れています。

さてさて肝心の競技のほうですが・・・・前半戦は日本選手団、少し振るいませんでした。

そんな中でもフィギュアスケート男子の高橋選手、スピードスケート女子500mの岡崎選手、それからスノーボード競技ハーフパイプなどにおいて活躍や躍進はありました。

でもメダルには一歩およばず・・・残念。

メダル獲得がないまま、いよいよ後半戦を迎えます。

イタリアも暖冬なのかなァ・・って思っていたら思いもかけずこの週は雪の日を迎えました。

2月22日現地時間は19時。

会場はトリノ市内、パラベラ競技場。

テレビやはたまた観客席の日本人たちにとっての一番の注目の競技。

女子フィギュアスケート・ショートプログラム。

安藤選手、荒川選手、村主選手が登場します。

会場となったパラベラ競技場は超満席。

参考までにこの会場のチケット代は当時280ユーロもしたのだとか!(現在の換算率だと3万9千円前後?)

競技では荒川静香選手は15番目の登場。

赤と白のコスチュームに身をまとい、「ユー・レイズ・ミー・アップ」の曲に合わせて演技を進めます。

会場からは「しーちゃん頑張れぇ」の声援も飛びました。

本当にパーフェクトなまでの荒川選手の演技。

解説者が言ったその時のコメントを今でもよく覚えています。

「すごい!彼女のあの指先にまで表現力があふれていますよ。」

そして荒川選手の得点は66.02ポイント。

高得点です。

トップのロシア、スルツカヤ選手の66.70に次いで2位につけたのです!

《つづく》